初音ミクと鮎川ぱて

銀杏BОYZの峯田和伸が「思春期の頃は親の声よりもダウンタウン松本人志の声のほうを多く聞いていた」という話をメディアに出るたびに繰り返しているが、僕にしてみればそれは初音ミクの声だった。

当時、埼玉の僻地にある自称進学校に通っていた僕は、毎朝五時に起きて、食事をとることすら忘れ教師が用意した学習マニュアルに従って毎日をやり過ごすことで精いっぱいで、ちゃんとご飯を食べているかと心配する家族の気遣いにも気付かずに、家の中ではひたすらに無言を貫き通し、ヘッドホンで両耳をふさいで、ただ初音ミクの歌声に耳を澄ましていた。別に歌詞やメロディーになにか救いのようなものを見出そうとしていたわけでもなく、ただYouTubeで流れてくるボカロ楽曲の数々を受動的に再生しているだけだった。

今になって振り返ってみれば、それすらも日々の生活の疲れを紛らわせてくれたという意味で、ある種「救い」とも呼べるものかもしれないが、当時の心境としては、そんな小難しいことを考える余裕すらなく、時間と情報をただ無意味に溶かしていくような感覚で、なかば機械的初音ミクの歌声を両耳へ垂れ流していた。

そんな音楽遍歴が自らの人格形成に多大な影響を及ぼしているかもしれないと気付いたのは、それからだいぶ経った頃のことだった。

歌詞は、言葉だ。言葉はメロディーに乗せられた状態でリフレインされれば、自ずと脳内へ刷り込まれていく。聖書の文句を幼少期から唱え続けたクリスチャンが、言語と精神性をみずからのうちで統一させていくように、言葉は再生の連続から、呪文としての機能を発揮しだす。つまるところ、僕は気付かぬうちに、初音ミクによって呪いをかけられていたわけだった。

「呪い」というと、どうしてもネガティブなイメージがつきまとうが、必ずしも僕の言いたいことはそういうことではない。人格という言葉すらも、フロイトエリクソンによって人類にかけられた一種の呪いと言えてしまうだろう。しかしそんな呪術的でトリッキーで、なおかつ学術的な説得性を持った誰かのイマジネーションが、着実に歴史を前進させてきたのだ。

話がやや前後するが、いったい僕は初音ミクからどのような類の呪いをかけられたのか。 誤解を恐れずに端的な説明で割愛すると、それは大まかに以下の三点で分けられる。

一・自身の体を機械論的に捉える考え方
二・ポストモダン以後の我々の自己は前提として分散されている、という考え方
三・上記の二点をわりかし肯定的に捉え、この調子で歴史を推し進めていこうとする身体のスピード感覚

まあこの手の話は、おそらくぱてゼミ受講生の皆さんのほうがよっぽど勉強なされていることでしょうから、ひとまずここで一段落つけることにします。

 

ぱてさんとは個人的なつながりで、僕が高校生の頃からお世話になっている。

ちょっとした事情でテレビに出たり、高校を辞めたり、美大に入学したりしたのだが、それらのどのタイミングにおいても、ぱてさんは常に他者が置かれている状況を思いやり、客観的な(かつ愛と優しさが込められた)言葉でもって、少々暴走ぎみであった僕のことを支えてくれていた。

ぱてさんに対する信頼の感情は、友人に対するものと近いようで遠いが、彼はいつも僕のことを一貫して「ともだち」と呼んでくれている。たとえ僕が、神聖かまってちゃんの「友達なんていらない死ね」を聴き続けていた時期であっても。

だから、というべきかわからないが、アドカレに文章を掲載なされているほかの人々(その多くは大学でぱてゼミを受講し、より学びを深めたいという意欲からみずからの興味の対象に没頭している方々だろう)とはやや初音ミク、そしてぱてさんに対する感情が異なるかもしれない。

僕にとって、初音ミクという存在は思春期の多感な時期にかけられた永久の呪いであり、対してぱてさんはというと、まあ言葉にするのは気恥ずかしくもあるけれど、安易に「ともだち」という言葉で済ますのも難しい、「ズッ友」とでも呼べそうな存在なのだ。 

youtu.be

 

押しつけがましくはあるが、神聖かまってちゃんというバンドは、僕が初めて自発的な意志を持って聴き始めた音楽である。いろいろな意味で特異なバンドではあるけれど、もしご存じでない方がいらっしゃったら、たまには人間の(少々生々しすぎる)歌声を聴いてみても いいかもしれません。

 

全体を振り返ってみると、やや散逸した箇所が目立ち、読みにくい部分もあったかもしれませんが、軽いエッセイ程度に読み流してくだされば幸いです。最後に、アドカレへの参加を呼びかけてくれたぱてさんには心から感謝しています。読んでくださった方々も、ご拝読ありがとうございました。