東大とぱてゼミとジェンダー

 ぱてゼミ7期&9期生のおぎさんです。今日はぱてゼミのメインテーマの一つでもあり、東大界隈でも関心の高いジェンダーについて書いていこうと思います。

 東大には何個かジェンダー論系の授業があります。その中で前期教養学生向けに開かれているのは、瀬地山角先生の「ジェンダー論」、清水晶子先生の「表象文化論」、そして鮎川ぱて先生の「ボーカロイド音楽論」です。同じジェンダー論系の授業といっても、毛色は全く違います。

 「ジェンダー論」はいわゆる入門者向けの講義であり、その名の通りジェンダーの話がほとんどです。この3つの中では最も受講者数も多く、受講者が持っているジェンダーの知識やリテラシーもかなり多岐にわたります。

 「表象文化論」はクィアスタディーズの授業で、ジェンダー関連で自分の調べたいことを決め、調べたいものが同じ方向性である数人のグループを作って、その調べたいことについて文献などを調べ、発表するというものです。このため、受講者はもともとそれなりにはジェンダーについて関心のある人、がメインになっていると思います。

 「ボーカロイド音楽論」(以下ぱてゼミ)は一見ジェンダーに関係なさそうな講義名をしていますが、中盤でがっつりジェンダーの話が出てきます。受講者はこれまた多岐にわたりますが、ジェンダーの話に限らないこともあり本当にいろんな人がいます。ジェンダーに関心がある人も、ジェンダーのことはあまりよくわからない人もいますし、ボカロ曲を作る人だって聞くだけの人だっています。講義名が面白そうだから試しに受けてみた人もいるでしょう。

 私はこのうち、1Sと2Sでぱてゼミを受講し、今2Aで表象文化論を受講しています。ぱてゼミは主に言語論、ジェンダー論、記号論で構成されます。そして、アンチラブ/アンチセクシュアル/アンチヘテロセクシズムが基盤となります。ジェンダー論パートではまず基本的なところから話が始まります。体の性、心の性、性的志向の関係は、傾向は存在するものの必ずしもすべて一致するものではないということ、そもそもそれらはグラデーションであること、アウティングの危険性などがそれにあたりますね。それに加えて、「マイノリティ」であることの何たるか、アライであるからと言って当事者たちに打ち明けるようぐいぐい迫るような「イキリアライ」にはなるな、という話など、約3~4回ほどで様々な話が繰り広げられます。ジェンダーまわりについて知識がもともとある人もない人も基本的なところは理解しつつ、かなり独特な方向に拡がる話を聞くことができるので、新鮮な体験であった、と言えます。

 表象文化論はぱてゼミ内で「東大のジェンダーの授業」として言及があり、面白そうなので受けてみました。私は受講して初めて知ったのですが、これまで受講してきたジェンダーの授業とは違って、前述したように、自分たちで主体的に調べ、学ぶスタイルです。そのため基本知識をここで学ぶことはあまりないのですが、主体的に調べ物をすることで自分の先入観が取り払われたり、主体的に動かなければ見えていなかった当事者たちの悩みを知ったりすることができ、実際に社会でどのような問題が起きているのかを身をもって知ることができます。また、受講者数にもよりますが班はおおよそ7つほどあり、ほかの班の発表も聞くことで、幅広い側面から問題を知ることができます。自分だけだったら思いつきもしなかったところから切り込んでいく意見やテーマにも触れられるのがよいですね。また学生がする、無意識のデリケートな発言に先生が指摘なさることもあり、自分が指摘された場合でもほかの人が指摘された場合でも、「これは言いかたには気をつけなければいけないんだ」ということ、また、自分自身にバイアスのある価値観が存在することを思い知ることができます。

 2019年度の入学式の祝辞で上野千鶴子先生が登壇して以降、東大内外でジェンダー意識がより強く見直されるようになっています。ジェンダー関連の授業は元からありましたが、これほどに上の各授業に人が集まるようになったのもそれがきっかけかもしれません(私は2019年度入学なので比較のしようがないですが…)。

 今、社会でもセクシュアルハラスメント対策や女性の雇用改善やLGBT教育やジェンダーフリートイレや同性パートナーシップの容認など、ジェンダー周りの問題を改善しようとする動きは出てきていますが、まだまだ、システム的にも人々の考え的にも発展途上であるというのが現状です。世界には日本よりジェンダーフリーな国もありますが、それらもまだ完全とは言えません。

 ぱてゼミでは、昔は左利きは差別されるものであり、人として不自然であり、偏見を持たれるものであり、強制的に矯正するものであった、という言及がありました。今では左利きだからと言って迫害されることは少なくとも先進国ではまず起こらず、せいぜい「個性」ぐらいの位置づけですが、システム的にはまだ左利きだと不便なものが多いというのが現状です。

 そしてジェンダーは、現在どちらも不十分と言えます。ジェンダー意識を持っている人でさえ気をつけていないとぽろっとデリケートなことを言ってしまうくらいに、この社会にアンバランスなジェンダー観が染みついています。左利きが「当てはまる人は少ないけれどおかしいものではない」ものであるのと同じようにセクシュアルマイノリティも「当てはまる人は少ないけれどおかしいものではない」ものであるべきです。そして、「男は外で労働をし、女は家の中で仕事をする」必要性があったのなんてもう3000年くらい前ですよ。逆に言えばそれだけの間、必要のないジェンダー観に人々は縛り付けられてきた、ともいえます。それほどの年月人間社会にこびりついてきた文化(笑)がこの数十年の間に急速に改善されていること自体は本当に喜ばしいことなので、このまま停滞せず、さらに数十年後の世代に「えっそんな時代あったんだー信じられない笑」と言わしめるような社会をみんなで作っていければという思いです。

 周知のように、東大は良くも悪くも目立つ存在です。そして、男女の人数比的にも、比較的シスヘテロ男性のホモソーシャルな空間ができやすい傾向にあります。それゆえに、東大内でもそれ相応に適切に教育が施される必要がある、ともいえます。先生によって教え方にとりわけばらつきがある分野でもありますので、いろいろな先生の講義を聞き、それを鵜呑みにはせずに自分の頭で考え、リテラシーとして身に着ける、という姿勢が特に重要な分野だなと感じています。正直ジェンダー論(講義名ではない)は必修にしてもいいと思うんですけどね…。本当に関心のない人はそもそも見向きもしない、ないしはジェンダー論講義の存在も知らないと思うので。