企業という近代的主体に飛び込む:卒業生が振り返る東大ぱてゼミ|みっきー

1.就職するまで

 大学時代に受けた授業のひとつ、ボーカロイド音楽論(東大ぱてゼミ)で「近代的主体」のことを知りました。近代という時代に入り、たくさんの部分からなる全体、たくさんの細胞からなる「個人」、たくさんの「社員」からなる「法人」、たくさんの「個人」からなる「国家」が一個の分割不能な主体として捉えられるようになった。主体の行動や思考は全体として統一されていなければならず、全体の保全のためにそれぞれの部分要素は特定の様式に従うことを強いられた、という話です。

講義はそのあと国家による性の管理の話へと続いていきますが、当時所属していた大学やサークルが自由な気風のある組織だったこともあってか、私はどこか他人事としてこの説明を聞いていました。私自身近代という時代に生きている自覚などなければ、とある国家に帰属する国民であるとの意識も限りなく薄かったのです。近代という言葉が指す期間は場合によって様々であり、したがって厳密にはそれが完全に終わったとも言い切れないのかもしれませんが、経験的な実感としては近代とか近代的主体とかはもう遠い昔の話なのだろうと認識していました。

 

 そう、就職を経験するまでは───。

 

2.企業の近代っぽいところ

私は大学を卒業してすぐに民間企業へ就職しました。そこで目の当たりにしたのは、これまで所属していたのとは大きく異なる組織の姿でした。端的に言えば、企業というものは思っていたよりもちゃんと近代的主体をしていたのです。

まず、私の会社では入社直後の研修で「企業理念」や「会社沿革」を紹介され、さらに「社歌」を歌えるように練習しました(今は忘れたなんて言えない)。社是や社史は大半の日本企業ではホームページにも掲載されており、内外へ大きく宣言されたその会社のアイデンティティを構成する要素であることがわかります。これはかつての国家に思想的な統一性を与えた「大きな物語」に相当するものだといえるでしょう。

また社員は就業規則・会社規則その他の定められた様式のもとで行動します。私がいるのは比較的大きな会社なので、細かな仕事の進め方が部署ごとに大きく異なっていることも珍しくはないのですが、いずれもこうしたルールを違えることはありません。

さらに社外の関係者と接するとき、社員はその会社を代表する者として振る舞うことになっています。また社外からもその社員の言動は会社としての意思表示だと理解されるのが普通です*1

 そして会社組織の一員である社員には、会社が掲げる成長目標へ貢献することも求められます。ノルマと呼ばれる明確な目標数値がある場合とない場合とがありますが、いずれも与えられた職責をよりよく全うすることが期待されています。そうして会社が業績をあげると社員にはそれに応じた給与・賞与が渡されるため、会社の成長と(財産的な)個人の成長が同期する恰好となります。

 それぞれ列挙すればあまり違和感のないことにも思えますが、ポストモダンと言われて久しいこの時代においても企業はこのように立派な近代的主体として世間から認識され、制度的には法人格を認められ、また自らも近代的主体であろうと努めていることがうかがえます。

 

3.企業の近代っぽくないところ

 今これを読まれている大学生のみなさんは「そうだったのか! 会社とはなんて恐ろしいんだ!」と思われているかもしれません。余計な心配をさせてしまって申し訳ないのですが、それでも会社員として働くのも悪いことばかりではないと私は思うようになりました。

 会社員・自営業・個人事業主・フリーターなどいろいろな働き方のそれぞれに良いところがあって優劣はないのですが、そのなかで働く場所のひとつとして企業が存在しているのは多分、一人ではできないような大きな仕事を皆でやるためなのだろうと思います。各方面の知識や経験を持った人々が集まり、時には大きな設備を使って、さまざまな商品やサービスを生み出していく。自分が関わっているのはごく一部だけだとしても、それが世に送り出されて誰かのためになっているのを見るとえも言われぬ感動があります。私自身大変な案件もたくさん抱えてきましたが、やっていて良かったなあ、冥利に尽きるなあと感じたこともたくさんありました。

 また先に紹介した類似点に対して、企業が国家と大きく異なっているのはその拘束時間が決まっていることです。日本の法律では労働時間は1日に8時間・1週間に40時間までと定められており、それ以上の時間外労働(残業)をする場合も別途上限があります。つまり人によって時間の多い少ないはあるものの24時間365日のすべてが労働時間になることはありえず、私たちは会社員として振る舞う時間とプライベートな一個人として振る舞う時間が明確に区別されています。

その意味では、家族・友達・SNSなどの「分割された自己開示」のひとつに会社員の顔が加わった状態だともいえます。1日8時間の近代的主体構成員ごっこです。ごっこ遊びがしたくない日は有給休暇を取ることもできるし、会社によってはごっこ遊びの開始・終了時刻を自分で決めること(フレックスタイム制)もできるし、別のごっこ遊びとの掛け持ち(兼業)も認められつつあります。一度産まれ落ちたら基本的に一生そこの国民であり続ける近代国家と比べればこれは画期的(?)なことだと思います。

 また企業にはたいてい「大きな物語」があると先ほど書いたのですが、それは必ずしも上意下達の堅苦しい組織であることを意味しません。企業の主目的は商品やサービスの対価として利潤を得ることであり、そのためにはむしろ立場にかかわらず皆が自由に考えを巡らせてより良い方法を探すことが必要なはずです。近年ますます重視されている従業員のダイバーシティも、国内の人手不足への対策として着目されている面が大きいようですが、こうした闊達なアイデアの創出にも有利にはたらく可能性があります。

 

4.まとめ

 以上のように、企業には近代的主体としての性質を色濃く残している部分が多くありつつも近代国家のような組織の形態と完全に一致することはなく、また時代に応じてより柔軟に変容していくのだろうというのが私の見てきたままの感想でした。就職してしばらくは大きく変わった環境や仕組みに苦労することもあったものの、こんなふうに大学で学んだに当てはめて考えつつ、自分なりの身の処し方ができるようになってきました。

 

 ところでいま私がこうしてアドカレに参加させていただけているように、東大ぱてゼミの門戸は大学を卒業したメイツ(ゼミ生)の皆にも広く開かれています。ボカロや創作やその他諸々を共有できる大切な仲間たちです。これからもお世話になります!それと卒業生メイツのみなさん、これからもドシドシぱてゼミを楽しんでいきましょう!

 最後になりますがぱてゼミDiscordで就活相談グループに参加しています。ご興味ある方はお気軽にぱてさんまでDMをどうぞ!

 

*1:なお、ここでぱてゼミでも触れられた「全体の統一性」が問題になることがあります。社内でまだ十分な合意形成がされていない事柄を、ある社員が社外に対して実行してしまう場合です。一般論としては、従業員が業務遂行の範囲内で第三者に損害を加えた場合には法人自体もその責任を負うことが民法で定められていたりします(使用者責任)。